九州キャンプ旅行記 6日目(大隅半島)

2023年10月2日

キャンプリポート

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2023年8月12日(土)


キャンプ旅行6日目。

昨夜は、少し雨が降りましたが、快晴の朝を迎えることが出来ました。


栄松ビーチ・キャンプ場は、海水浴場に面したキャンプ場です。ビーチの向かいには島があり、シーカヤックで渡ることができます。

私もパックラフトで渡ろうかと思ったのですが、この日は大隅半島をぐるっと回って佐多岬まで出るので、時間的余裕がありません。


さて、佐多岬へ向かう前に、寄りたかった場所があります。

内之浦宇宙空間観測所です。

JAXAに興味の無い方でも、「はやぶさ」を打ち上げた基地と言えば分かってもらえるでしょう。

日本の技術の粋を集めて作られた小惑星探査機の打ち上げ・運用を担っている基地ですから、いつか行ってみたいと思っていました。

日南から、内之浦宇宙空間観測所のある鹿児島県肝付町へは、串間市を経由して志布志湾沿いの道を進みます。


道中、宇宙観測所近くの道路脇でで見つけたコレ。

殺獣メーサー砲ではありません(笑)。

人工衛星追跡用アンテナです。

昭和41年に鹿児島宇宙空間観測所(現、内之浦宇宙空間観測所)に設置され、国産初の人工衛星「おおすみ」の電波を受けていました。

こちらは、昭和44年に運用開始されたアンテナ。


園内には、おおすみのモニュメントも、設置されていました。


内之浦宇宙空間観測所は、受付で申告すれば、無料で見学できます。広い敷地内は、車で走行可能で、マイカーで乗り入れることができます。

観測所内に入って、最初に目に入るのが、日本のロケット開発の父と言われる糸川英夫の像です。

「はやぶさ」がサンプルリターンを行った小惑星の名前「イトカワ」は、糸川英夫に由来します。

糸川英夫が研究開発していたロケットは、固体燃料を使用しており、人工衛星「おおすみ」を打ち上げたラムダロケット、「はやぶさ」を打ち上げたM-V(ミューファイブ)ロケットなどは、何れもその系譜上にあるロケットです。

観測所の元になった、発射場を内之浦に作ったのも糸川でしたから、小惑星の名前が「イトカワ」になったのは、歴史的必然でした。


余談ですが、現JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、宇宙科学研究所と、宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所の3団体が、2003年に統合されてできた組織です。

宇宙科学研究所は、当時東京大学教授だった糸川英夫が、1955年にペンシルロケットの発射実験を行ったことに端を発します。以来、固体燃料ロケットの開発に邁進し、内之浦を拠点に、科学衛星や探査機を打ち上げてきました。ですので、はやぶさは、将に糸川氏直系の流れを汲んでいるのです。

一方、宇宙開発事業団は、商用利用の衛星を打ち上げることを目的に作られた組織で、種子島宇宙センターを拠点としています。これまで、液体燃料のH-2Aロケットを主力に、気象衛星「ひまわり」や、測位衛星「みちびき」などを打ち上げてきました。

また、航空宇宙技術研究所は、宇宙よりも航空機の基礎研究を目的に作られた組織で、戦後日本唯一の旅客機であるYS-11の開発支援などを行ってきました。

はやぶさが打ち上げられたのが、2013年5月9日で、JAXA発足が同年10月1日ですから、宇宙科学研究所時代の最後に打ち上げられた探査機でもあります。その後、2014年に打ち上げられた「はやぶさ2」は、H-2Aロケットですから、糸川先生の直系からは外れることになります。

実は、JAXAの予算配分は、商用衛星の打ち上げやISSへの宇宙飛行士派遣など、旧宇宙開発事業団が最も大きな予算を握っており、それに比べて、学術目的の旧宇宙科学研究所の部門費用は年間200億円程度に抑えられているのです。ですから、はやぶさ2を種子島から打ち上げなければならなかった旧宇宙科学研究所系の人は、忸怩たる思いだったのではと勝手に想像しています。

現在は、M-Vの後継機「イプシロン」の開発が進んでいますので、今後「はやぶさ3」があるのであれば、再び内之浦から打ち上げられるのではと思っています。残念なことに、イプシロンは、今年の7月に燃焼実験で爆発事故を起こしており、開発がなかなかうまくいっていないようです。一方の、H-2Aの後継機H3も、今年の3月に打ち上げ直後に爆発事故を起こしています。

糸川先生の顔がなんだかくすんで見えるのは、私の気のせいでしょうか・・・


さて、余談が長すぎましたが、見学経路を車で走っていくと、巨大なパラボラアンテナが目に入ります。

直径34mの、巨大なパラボラアンテナ。

これで、はやぶさと交信してサンプルリターンを成功させていたと思うと、感無量です。


こちらは、高台の上にある20mアンテナ。


近くから見ると、複雑な構造物が美しいです。



高台からは、基地全体が見渡せるので、おすすめです。

遠くには、打ち上げ施設も見えます。


こちらが、ミューセンターと呼ばれる打ち上げ施設。


広場手前には、L-3H(ラムダ3H)ロケットの模型が展示されています。「おおすみ」を打ち上げたラムダロケットは、これの改良型のL-4Sです。



M型ロケット発射装置。カッコイイー!!

はやぶさを打ち上げたM-Vロケットは、この建物の裏側にあるランチャーから発射されました。


広場にはM-Vロケットの模型が展示されています。



1段目と2段目の継ぎ目。実物大模型とは言え、細部まで再現されています。


ロケットにそれ程興味の無い嫁と娘は、早々に車に戻ってしまいましたが、私は独りでこの広場を堪能(^o^)



さて、観測所で予想以上の時間を費やしてしまった私たちは、大隅半島を南下。一路、佐多岬を目指します。

佐多岬は、離島を除く本土最南端の地。既に最北端である宗谷岬は訪れているので、今回の九州キャンプ旅行で佐多岬は外せません。


肝付町から南方面は、殆ど人が住んでおらず、ひたすら山の中を走っていくことになります。行き交う車も殆ど無く、順調に走っていたのですが・・・

土砂崩れで行き止まりでした。

鹿児島県南部は、台風6号の影響をモロに食らっていたので、仕方がありません。

ということで、道を引き返しつつ、錦江湾(鹿児島湾)側へ出ました。こちらの道は、佐多岬まで開通していましたが、至る所で土砂崩れの跡が。

おかげで、車も泥だらけに。

尤も、泥だけで済めば良かったのですが、この後大変なことになるとは、この時は知る由も無く。


悪路を往くこと、およそ1時間ほど。ようやく佐多岬に到着。

良い眺めですが、私は早朝から起きていたこともあり、眠気が襲ってきて、駐車場でひと眠り。

駐車場に生えている巨大なガジュマル。



その後は、鹿屋市内に向かいます。

錦江湾からは、向かいの薩摩半島南端の開聞岳が見えます。


佐多岬を出てから1時間半ほどで、鹿屋市に到着。市内のコンビニに寄った時のこと。


タイヤがパンクしてる!!


どうやら、佐多岬周辺の土砂崩れ一帯を走った時、土砂の中の石か何かを踏んでパンクしたようです。


大ピンチ!! (;゚Д゚)


時刻は、17時半を回っていましたが、急いでネットで調べ、マツダのディーラーに駆け込みました。しかし、パンク状態でかなりの距離を走ったため、タイヤのサイドウォールが完全にイカれており、タイヤ交換が必要とのこと。生憎、在庫が無いということで、ディーラーの近所にあったオートバックスを勧められました。

オートバックスには、丁度、CX-8互換のタイヤの在庫があり、無事交換。工賃込みで37,400円というイタイ出費でしたが、明日は桜島を回って指宿まで行かなくてはなりませんから、助かりました。


それにしても、北海道を夏冬合計3回走るなど、キャンプ道具満載で色んなところをCX-8で走ってきましたが、パンクしたのは初めて(というか、人生初めて)です。

鹿屋市は比較的大きな街ですから、佐多岬周辺で走れなくなっていたらと思うと、不幸中の幸いでした。


タイヤ交換を済ませた私は、本日泊るホテル太平温泉(たいへいおんせん)へ。

昭和の匂いがプンプン香るホテルですが、日帰り入浴ができることもあって、地元の人で賑わっていました。老舗温泉らしい趣はありませんが、昭和の銭湯のようなカランと電気風呂が、ノスタルジーを感じさせてくれる良い温泉でした。


さて、温泉でさっぱりしたら、晩御飯です。

行ったお店は、ホテルから徒歩5分ほどの所にある、居酒屋「陣」。


先ずは、地鶏のたたき。

いやー、九州に来て鶏のたたきがこんなに美味しいとは初めて知りました。

東京は愚か、大阪でも鶏を半生で食べることはありませんので、たたきで食べられることにびっくり。そして、味わって2度びっくり。


(゚д゚)ウマー


こちらは、アラカブの造り。所謂カサゴ、大阪ではガシラです。

更に、イトヒキアジの造り。珍しい地魚で、脂の乗りが良く、カンパチに似た味でした。

鶏のから揚げも、一味違う美味しさに舌鼓を打ちます。

イヤー、芋焼酎が進みます(笑)。

ちなみに、このお店、森伊蔵が置いてありました。しかも、東京だとボッタクリの値段ですが、他の焼酎と変わらないお値段。

他に、焼き鳥なども堪能し、〆は焼きおにぎり。

これがまた、どうやって焼いたのかと思う程、柔らかくてホクホク。


こうして、鹿児島の夜を堪能した私たち。

内之浦で興奮し、苦労して佐多岬へたどり着き、パンクの憂き目にあい、最後は鹿児島の美食で締めと、色々あった一日でした。


つづく


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