日立金属の売却で日本の刃物文化の今後が心配

2021年6月7日

コラム ナイフ沼

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少し前の話になりますが、日立金属が、米国投資ファンドのベインキャピタルに売却されることが決定しました。

私は、このニュースには、以前から注目していました。なぜなら、日立金属は、白紙鋼からZDP189まで、私が普段愛用している包丁やナイフの刃物用鋼材を製造しているからです。




日立金属の売却と不祥事

2021年4月28、日立金属の親会社である日立製作所は、ベインキャピタルを中心とする投資ファンドに、保有株全て(日立金属の株式53・38%)を3820億円で譲渡することを決定しました。ファンドは、ベインキャピタルに加え、日本産業パートナーズ(JIP)とジャパン・インダストリアル・ソリューションズ(JIS)が出資しており、今後、株式公開買い付け(TOB)で日立金属の全株式取得を目指すとしています。買収総額は8200億円程度になる見込みで、買収終了後は、株式上場は廃止される予定です


この、株式売却に遡ること1年前、日立金属は品質検査の改ざん問題に揺れていました。2020年1月に検査結果の改ざんが発覚、不正は1980年代から行われており、対象商品の納入先は1747社に上ることが確認されました。その後の調査で、2020年4月27日に、特殊鋼製品と磁性材料製品(フェライト磁石および希土類磁石)の一部について、検査成績書に不適切な数値の記載を行う検査不正が確認されたことを発表。自動車部品を中心に、多くのメーカーに多大な影響を与える結果となったのです。


ヤスキハガネについて

私が長年愛用している出刃包丁と刺身包丁。
堺打刃物の伝統工芸士、味岡氏の手による。鋼材は白紙。


さて、日立金属と言えば、ヤスキハガネと呼ばれる、刃物用鋼材を製造しているメーカーでもあります。ヤスキハガネ(安来鋼)は、青紙・白紙に代表される、高級刃物用鋼材の総称で、多くの包丁やナイフ、ハサミなどに使用されています。特に、プロの使う和包丁は、白紙1号、白紙2号と言われる炭素鋼が使われており、日立金属の独壇場です。その日立金属が、米国投資ファンドへ売却されると言うのですから、日本の食文化が窮地に立たされていると言っても過言ではありません。


日立製作所が、日立金属を売りに出すにあたり、技術流出となることを恐れた日本政府は、官民ファンドである産業革新投資機構(JIC)による買収を目論見ますが、既に水面下で話が進んでいたベインキャピタルとの関係を解消させることには至らず、ファンドにJIPとJISを加えるのが精一杯だったようです。

TOB後は、上場廃止となるため、株主総会も開かれず、日立金属の事業がどうなるかは極めて不透明です。日本の産業にとっては、自動車向けの特殊鋼に注目が集まるのは当然ですが、今後リストラの対象としてヤスキハガネが挙げらえる可能性も充分あると思われます。


ヤスキハガネの一覧。
出典:日立金属


ヤスキハガネを製造している島根県にある安来工場では、青紙・白紙に代表される炭素鋼以外に、刃物用ステンレス鋼材も製造していました。「していました」と言うのは、実は、ヤスキハガネのステンレス鋼は、数年前から順次製造が中止されていたからです。

正確な時期は不明ですが、5・6年程前にATS34が製造中止になり、数年前にはZDP189、続いて銀シリーズと相次いで製造中止となっています。


ATS34と言えば、近代ナイフの父と言えるロバート・ウォルドフ・ラブレス(R.W.Loveless)が高く評価して、それまで鋼材として使っていた154CMから切り替えた鋼材としても有名で、多くのカスタムナイフメーカーに使用されている優秀な鋼材です。


G・サカイ ウィッキーチヌ。
ATS34が使用されており、非常に切れ味が良い。


また、ZDP189は、高性能な粉末冶金鋼で、Gサカイの製造しているスパイダルコのナイフなどに採用されています。


スパイダルコ エンデューラ ZDP189使用モデル。


2021年6月現在、まだZDP189のエンデューラなどが販売されいますが、G・サカイは既に製造を終了しているので、市場から無くなるのは時間の問題です。


日本国内の刃物用ステンレス鋼材は、日立金属以外に、武生特殊鋼材と愛知製鋼が製造しています。特に武生特殊鋼材は、ファルクニーベンやコールドスチールに採用されているVG10や、粉末冶金鋼のスーパーゴールド2などを製造していますので、日立金属の穴を埋めることは可能かもしれませんが、刃物鋼材の選択肢が減ることは、ナイフ業界にとって決して良い事ではありません。


武生特殊鋼材のVG10が使用されているファルクニーベン F1。


日立金属からは、今の所、炭素鋼について何の発表もありませんが、ファンドの買収が終了した暁にはどうなるか分かりません。

青紙鋼や白紙鋼は、多くの和式ナイフや鉈などにも使用されており、名のある鍛冶職人が愛用しています。それに、和包丁と言われる日本の伝統的な包丁は、殆どに白紙鋼が使われているので、日立金属の炭素鋼が製造中止となると、影響範囲は計り知れないものになります。


越前打刃物の伝統工芸士、佐治武士氏の「武蔵」。
鋼材は青紙スーパー。


このように、日本中で使われている包丁にも大きな影響を与える日立金属のヤスキハガネですが、事態はそれだけには留まらないのです。ヤスキハガネが製造されている、日立金属安来工場では、日本刀の鋼材「玉鋼(たまはがね)」が伝統的な「たたら製法」によって製造されているからです。


「玉鋼」と「たたら」について

日本刀の材料として欠かせない玉鋼。要するに原料となる鉄の塊ですが、伝統的な「たたら製法」によって作られる玉鋼は、現在の製造技術をもってしても再現不能と言われています。かつて、日立金属が玉鋼と同じ成分になるように調整して鋼材を製造したことがあるそうですが、刀へと鍛錬してみると、途中で折れたり、炭素が抜けすぎてボロボロになったりと、刀剣の素材としては玉鋼に遠く及ばなかったとのことです。


玉鋼
出典:日本美術刀剣保存協会


玉鋼は、所謂「和鉄」と呼ばれるものの一種で、日本古来のたたら製法によって作られた刀剣用鋼材のことです(※1)。たたら製法は、砂鉄を木炭で製錬して鉄を製造する製法のことで、鋼となる鉧(けら)をつくる鉧押し法と、炭素量と不純物の多い銑(ずく:銑鉄)をつくる銑押し法の2通りがあります。

少し専門的な話になりますが、鉄は自然界では単体では存在せず、酸化鉄(Fe2O3)や硫化鉄(FeS)の状態で存在しています。また、砂鉄や鉄鉱石などには、リン、硫黄、銅、チタンなどの不純物が混ざっており、良質な鋼(ハガネ)を得るためには、これらをできるだけとり除く必要があります。

鉧押し法では、真砂砂鉄(まささてつ)、銑押し法では赤目砂鉄(あこめさてつ)が使われます。真砂砂鉄は、花崗岩に1~2%の割合で含まれる砂鉄で、純度が高く、鋼に向いています。一方の赤目砂鉄は、玄武岩、安山岩、閃緑岩に含まれる砂鉄で、含有量が6~9%と多いのですが、チタンなどの不純物も多く含まれています。


鉧押し法では、土で作った炉内に、砂鉄と木炭を交互に敷き詰め、炉の横から空気を送って加熱します。溶けた砂鉄は、炉内の底へと流れ落ちていきますが、この時に木炭から発生した一酸化炭素(CO)によって、酸化鉄の脱酸素化が行われます(還元反応)。


たたら炉に砂鉄を投入する瞬間。
出典:日本美術刀剣保存協会


これと同時に、周囲の炉に使われている土が熱で溶けだし、溶けた鉄の中の不純物と結合することで、鉄の純度が上がっていきます。不純物と結合した滓(かす)は、ノロまたは鉄滓(かなくそ)と呼ばれ、炉底の横に掘られた湯路(ゆじ)という穴から流れ出します。こうして、より純度の高い鉧が炉内で育てられていくのです。


炉から流れ出るノロ。
出典:和鋼博物館


送風、木炭の追加、砂鉄の追加という一連の作業は、3日3晩続けられ、最後に土の炉がやせ細ったところで、炉壁を崩して、鉧(けら)を取り出します。


炉壁を崩して鉧(けら)を取り出す作業。
出典:日本美術刀剣保存協会


砂鉄約10トン、木炭約12トンを使って出来上がる鉧は3トンほど。その中から、取り出される玉鋼は、日本刀にして500振り程の分量だそうです。

尚、玉鋼にも等級があり、炭素量約1.0~1.5%で破面が均質なものが1級、炭素量約0.5~1.2%で破面が均質なものが2級とされています。



銑く押し法については、明治初期にその製法技術が失われてしまったため、詳細は不明ですが、炉は、鉧押し法より細長く、送風口の位置も低いことがたたら場の発掘調査から判っています。赤目砂鉄を主原料に使う銑く押し法では、不純物を取り除くためにより高温にする必要があるため、より熱効率が高まるように炉を細長く作ったと考えられています。また、還元過程で、木炭の炭素がより多く取り込まれ、炭素量の多い銑鉄が得られることもメリットだったと考えられています。

銑く(ずく)は炭素量が2.1%以上含まれ、鋼より融点が低いため、鋳物などに利用されます。また、銑くを再度炉で加熱・送風し、脱炭することで(錬鉄)、鋤・鍬・鎌などの刃物の他、くぎなどにも加工されました。このように、用途に合わせて加工しやすく、赤目砂鉄の方が入手しやすいこともあり、江戸時代までは、銑く押し法が主流でした。


たたらの歴史

製鉄の始まりからたたら製鉄の成立まで

日本の製鉄の起源は古く、6世紀後半の古墳時代まで遡ることができます。現在、日本最古の製鉄遺跡とされているのは、岡山県総社市の千引カナクロ谷遺跡で、6世紀後半から7世紀初め頃と考えられる計4基の製鉄炉が発見されています。発掘調査の結果、一番古い1号炉では鉄鉱石が使われていたことが判明しており、当初は、砂鉄よりも鉄鉱石が原料とされていました。その後、6世紀末頃には、砂鉄も使われるようになり、以降は急速に砂鉄が製鉄の原材料として普及していきます。

8世紀頃の奈良時代には、律令制の元、鉄が朝廷に収められていました。平城宮跡から発掘された木簡によると、特に吉備(岡山県から広島県東部にかけての地域)から大量の鉄が収められており、他には播磨(兵庫県西部)が少しある程度です。

11世紀以降には、出雲(島根県)を中心とする山陰地方と、陸奥(東北地方東岸)が、鉄の生産量的には中心となっていきます。現在も続く南部鉄器は、この陸奥地方に位置し、中世から鉄の一大生産地だったことが伺われます。

16世紀頃にはたたら製法が確立し、17世紀中頃には、高殿(たかどの)と呼ばれる製鉄炉全体を覆う建築物が作られるようになります。それまでは、「野だたら」と呼ばれる、屋外に製鉄炉を作るのが中心でしたが、建屋で覆うことで、天候に左右されず、製鉄の大規模化が図られるようになりました。映画「もののけ姫」で出てくるたたたら場は、この時代の物がモチーフになっています。

その後、江戸時代に入ってからも、刀剣を始め、鋤・鍬・鎌などの民具から鍋・釜などの鋳物の原料として、たたらによる鉧や銑の製造が、山陰を中心とする中国地方や東北地方(奥州・出羽)で盛んにおこなわれます。

たたら製鉄は、明治に入ってもしばらく続きますが、鉄鉱石とコークスを使った高炉製鉄の技術が入って来た結果、急速に廃れていきます。明治27年には、年間の製造量が、たたら製鉄11,859トンに対し、高炉製鉄が12,735トンと逆転、以後は次々とたたら場が姿を消していきます。


戦争によって復活するたたら

一旦は姿を消した「たたら」ですが、皮肉なことに、戦争によって再び脚光を浴びることになります。

満州事変以降、戦争へと日本が突き進んでいく中、軍刀としての日本刀が必要となり、そのためには良質な玉鋼が求められたからです。そこで、昭和8年(1933年)に、島根県の安来製鋼所鳥上(とりかみ)工場内に新たなたたら場を建造し、軍刀の鍛錬所は靖国神社の境内に設けられることになりました。「靖国たたら」の誕生です。

靖国たたらで製造された玉鋼は、靖国神社の鍛錬所で軍刀に仕上げられ、終戦までの12年間で約8,000本が作られたとされています(※2)。


戦後のたたら再復活と日立金属

太平洋戦争後、軍刀が必要なくなったため、靖国たたらも閉鎖されますが、今度は伝統的な刀鍛冶の技術伝承のために、再び玉鋼が必要となります。そこで、昭和52年(1977年)、日本美術刀剣保存協会(日刀保)が、国の補助を受けて、日立金属安来工場内の「靖国たたら」跡地に「日刀保たたら」を復活させたのです。

玉鋼の製造にあたっては、伝統的な技術だけでなく、国産の砂鉄、木炭、炉の材料となる土など、様々な材料が必要で、高殿(たかどの)と呼ばれるたたら場の建物の建造・維持まで含めると、どうしても企業の協力が不可欠でした。かつて、靖国たたらを運営していた安来製鋼所の流れを汲む日立金属が、たたら復活に協力したのは必然だったと言えます。

このたたら製法は、「玉鋼製造(たたら吹き)」として国指定無形文化財にも指定されており、技術伝承という意味でも、安来工場は重要な役割を担っているのです。


日立金属の今後について思うこと

日立金属が、米国ファンドの手に完全に渡ってしまえば、技術伝承という文化事業など、真っ先に切られてしまうのではと、私は危惧しています。この辺のことについて、文化庁からは何の発表もありませんが、日本の伝統技術が大きな岐路に立っていることは間違いありません。


玉鋼とヤスキハガネ。

何れも、日本の文化を継承するのに重要な役割を担っているのです。


近年、ナイフの鋼材については、米国クルーシブ社を始めとする海外メーカーの技術革新が目覚ましく、ATS34に追われた154CMも、最新の粉末冶金技術によりCPM154として復活を遂げています。

刃物に疎い人は、未だに日本の刃物が世界一だと思っているかも知れませんが、鋼材技術に関しては、既に米国を筆頭とする諸外国の後塵を拝しています。研ぎや仕上げに関しても、バークリバーやTOPS(ROWEN)などは、高い技術を誇っており、近年では中国メーカーの追い上げも厳しい物があります。


10年後に、米国産1095炭素鋼を使った中国製和包丁に駆逐されるなんてことが起こらないことを願いつつ、日立金属の行く末を見守っていきたいと思います。



※1:玉鋼という言葉は、江戸時代の資料には無く、明治時代になって登場する。本稿では、刀剣用の鋼を表す言葉として玉鋼を用いている。尚、明治以前は、鋼の品質に応じて、高品質な物から順に、造鋼(つくりはがね)、頃鋼(ころはがね)、砂味(じゃみ)に分類されていた。


※2:昭和12年の日中戦争開始以降、靖国たたら以外でも、玉鋼製鋼、帝国製鋼(いずれも本社大阪市)や出雲製鋼(本社東京市)によって、たたら操業が復活し、軍刀用途に玉鋼を提供している。



【参考文献】

鉄に聴け 鍛冶屋列伝(遠藤ケイ 著、ちくま文庫)


たたら製鉄の歴史(角田徳幸 著、吉川弘文館)


公益財団法人 日本美術刀剣保存協会

https://www.touken.or.jp/


和鋼博物館

http://www.wakou-museum.gr.jp/


株式会社 日立金属安来製作所

https://www.hitachi-metals-yasugi-seisakusyo.co.jp/






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